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ABOUT US

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保護者の方々へ

 

今はモノがたくさん増え、欲しいものはなんでも手に入る世の中になりました。

飢えることはなくなり、一見格差がなく見えるのが今の日本です。

しかし、よく見てみると貧困はまだこの日本中に広がっています。
それは、心の貧しさです。

心の貧しさは、お金やモノでは埋めることはできません。
欲しいものを手に入れたとしても、満足することはありません。
心が満足しないと、満たされているように見える人、自分よりも優しくてやり返してこない誰かを攻撃したくなります。いじめたくなります。

それと同じことが、子どもたちの世界でも起こっていることは、皆さんもご存知のことでしょう。

 

家庭は、世界から心の貧困をなくすための第一歩です。心の貧困が少なくなり、世界に相手を思いやれる人が増えたら、
「自分はこの世に必要ない人間なんだ」
そうやって悲しく命を絶つ人も減るかもしれません。

それには、家庭で愛情を持って育つのか、親がどれだけ他者に対して思いやりの気持ちを持って接するかにかかっています。
なぜなら、子どもたちは言葉にしなくても、必ず親の背中をみて育っているからです。

それは、必ずしも両親が揃っていなくても、血の繋がった血族ではなくても構いません。
家庭とは、子どもが安心して帰ることのでき、自分らしくいられる居場所のことだからです。

親として子どもと接する大人には、子どもの人権を作ってあげる義務があります。とても厳しいですが、未来を育てていく尊い役割です。

家族という単位で、心が豊かな人がこれから増えていくことを願っています。
そのためにも、どうかみなさん、お体は大切になさってください。

北川総裁の想い

お米一粒ずつでも、自分のお金で買ってあげられたらいいのに。
小さい頃から抱いていたその思いが、私の目を覚まし、この場所まで連れてきてくれました。

カラーテレビが世の中に出回り、まだ珍しかった時代。
日本は高度成長期が始まったばかりで、今よりも貧富の差が激しかったその時代に、北海道で私は生まれ育ちました。

私の家は、父親が”はっぱ”と呼ばれる技術職でした。

給料は当時学校の先生が月給1万円だったのに対して、父の月給は6万円。
しかし、サラリーマンのように毎月の給料が保証されている時代ではなく、冬には仕事がない上にダイナマイトを使う技術職だったので常に死や怪我と隣り合わせで、いつどうなるか分からないため、生活は安定していたわけではありません。

お金はあるけれどないような不安定な生活で、一度仕事に行くともしかしたら戻って来られないかもしれない父の後ろ姿を見送るなんとも言えない寂しさを抱え、自分の生活に満足はできていませんでした。

そんなある時、テレビでアフリカのドキュメンタリーを目にします。
その光景は悲惨なものでした。
内戦や部族間抗争により、食べるものも、着る物もなく、医療や教育が満足に受けられずに弱っている自分と同じくらいの子どもたちの姿です。

親を亡くしている子も大勢いました。
痩せ細った赤ちゃんを大切そうに抱いているお母さんの姿もありました。

本物の貧困を目の当たりにして、体が雷に打たれたようでした。
そして、なんとか自分の力で貧しさや格差をなくすことができないだろうかと考えるようになりました。

「大人になったら自分で会社をやろう。儲かったお金で困っている人たちを助けるんだ」それが、私の原点になったのです。

しかし、そんな志も自分で事業をはじめた頃から後回しになってしまいました。事業が起動に乗り、順調に広がりを見せると会社や従業員、その家族を守るために利益を追求することが私の目的になっていました。

今まで手にしたことのないお金を持って、美味しいものを食べたり、お酒を飲んだり、好きなものを買えるようになったりすることが嬉しく、誇らしく感じていました。
だから、小さい頃に抱いていた大きな志は次第に後回しになってしまったのです。

私は、カイロプラクティックという体の歪みや不調を治す仕事を日本に広めました。

アメリカでは、お医者さんと同じ権威のある仕事です。
カイロプラクティックという言葉と技術を日本に広めたことで、アメリカのバラク・オバマ元大統領から表彰もされました。

ですが、その名誉ある賞を手にした時に「このままでいいのだろうか?」と感じたのです。人道支援活動をして賞を頂いた時にも抱いた違和感です。

栄誉ある賞を手にしたとき、私が本当にやりたかったことを思い出しました。それは、小さい時に目にしたアフリカの人々の姿。

そして、「お米一粒でもいいから、自分のお金で送ってあげられないだろうか?」そうやって小さい頭を悩ませて人のことを考えていたことです。

私は確かに、事業を大きくすることには成功しました。
カイロプラクティックの技術で、たくさんの方に貢献できたと思う瞬間もありました。

でも、その分時間が経ちすぎていました。

「もっともっと利益を上げた方が誰かのためになるだろう」
そうやって先延ばしにしていたことを後悔しました。

そこから自分にできることを探しました。その時に出会ったのが国連組織です。

国連は国境を超えて人権を守り、貧困解決など世界で起きる問題に尽力するための組織です。
その後方支援をすることが、自分の役割になるのではないかと思ったのです。

今では世界26カ国が私たちの活動に賛同してくれています。

国連の活動は、儲かるものではありません。けれど、人を笑顔にすることのできる尊い活動です。

フィリピンの災害支援をした時、被災と貧困状況が一番ひどい地域に私たちは向かいました。医療派遣と共に行った炊き出しで見られたのは、子どもたちをはじめとする現地の方の笑顔でした。

子どもたちは私の名前を覚え、大きな声で「ふさお、ありがとう!」と言って笑顔を見せ、慕ってくれました。

日本の震災での炊き出しでは、寒い時期だったので温かいものを避難所に運びました。「本当にありがとう」「また頑張ります」と涙を流して喜んでくださる方々大勢いました。

今まで出会った方々の笑顔が、私の原動力になっています。

2020年に発生したコロナウィルスは、私たちの生活を大きく変えていきます。
私も危惧しているのは、たくさんの貧困が生まれるのではないかということです。

貧困の一番の問題は、人々特に子どもたちからチャンスを奪ってしまうことです。チャンスが与えられないと、「自分には何もできない」と思いこみ、最後には争って奪うようになってしまいます。

そんな時、人々を結ぶのは国境を超えて活動ができる国連組織です。
私たちは常に人権を尊重し、その人権を生かすことによって社会づくりができるという活動を続けていきたいと考えています。

そして、その活動でいつか貧困が少しずつ小さくなり、誰もが挑戦ができるようになる世の中になることを願っています。